三月雑感

/ 2011/04/02 /
四月になった。
個人の実感だけから言うと、2011年の三月は容赦なく過ぎ去った、と感じている。
3/11の震災当日から、時々眺めるだけだったtwitterなどを積極的に活用する機会が増えた。
それも今は、またふたたび静かに見ている状態に戻りつつある。
少なくとも実生活上での自分の周囲では、震災の翌週から、関心事の中心は首都圏での計画停電や交通網、品薄になっている物資の問題に移っていっていた。
それが正しいとも間違っているとも思わない。それはそうなのだろう、と思う。

宮城県石巻市在住の日下羊一さんのブログで、現地のかなり詳しい現状報告を読ませていただいている。
石巻市は父の生家のある土地で、5歳から10歳まで暮らしていた場所でもある。大人になってからは週末をよく過ごした場所でもある。
見慣れた町並みがまさに一変したことを知る。

ブログでは被害の状況だけでなく、そこでどんな復旧作業が続けられているのかも垣間見ることができる。
それを読んでいてつよく感じたことがある。実際、長い時間をかけて、今もこれからも当地の復旧に取り組んでいるのは、被災した方たちなんだ、と。
被災地で、今まさにヘドロを掬い上げ、こわれたものをとりのぞき、泥をはらっているのは、そこで今までもこれからも暮らす人たちなんだ、と。
そこには英雄とか報賞とかそれを讃えるとかいう話はない。
消防庁も自衛隊も、ボランティアも医療スタッフも、みんな尊い労力を傾けていらっしゃると思う。
それでも、誰に報じられることもなく、そこで日々黙々と大勢のひとびとがはたらいていることを、強く意識していたい。
がおんねようにすらいよ、と思う。それも無理な話なんだけど。

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