小津夜景「フラワーズ・カンフー」を眺める。
じわじわと驚きが内部にひろがるのを感じる。
「天蓋に埋もれる家」「出アバラヤ記」の嵩がくれる驚き。
(無知によりプレテクストについていくのに時間を要するわけですが、それはひとまず置くとして)
斉藤斎藤「人の道、死ぬと町」は全体が上記二編のような(方法はかなり異なるけれども)嵩をもつ一冊で、特に「棺、棺」はこの分厚い歌集の五〇ページを占めている。
「棺、棺」はこの一連で、短歌連作と歌人論と短歌の本質論と殯をぜんぶいっぺんにやってしまっている。
短歌や俳句で「何」ができる、とか考えるのが私はあまり好きではないのだけど、嵩をもつことに意義がある、と
この嵩がこれらには必要だよね、と思えるものに出会ったのはうれしいことです。
(蛇足ですが「天蓋に埋もれる家」を読んでヤン・シュバンクマイエルの『アッシャー家の崩壊』を思い出しました)